
蟲師 特別編 「鈴の雫」は2015年5月に公開された「蟲師」の劇場版作品。原作は漆原友紀、監督・シリーズ構成に長M博史、音楽に増田俊郎、アニメ制作はアニメーションスタジオ・アートランド。
映画を見に行った直後の記事にも書きましたが、人がぬし様になるエピソードはみんな悲しい物語ばかりです。ぬしが人として、人々がぬしに人として関わろうとするからだと思います。そこはきっぱりと断ち切るべき。それができないから悲しい物語が発生します。
★キャラクター&キャスト
ギンコ / 中野裕斗
カヤ / 齋藤智美
葦朗 / 小川ゲン
声 / 土井美加
★ストーリー
葦朗は山の中でおびただしい数の鈴の音がこだまするのを聞いた。それからまもなくして妹のカヤが生まれた。

山の中を歩くギンコ。山のなかからこちらを窺う視線に山のぬしの気配を感じる。果たして主の正体は草の生えた少女だった。疲れた様子のぬし様にギンコは名乗り、挨拶がわりに滋養の薬を差し出すが、ぬし様は「去ね」と言うと姿を消した。これ以上深入りしない方が良いと悟ったギンコは山を降りて里の方へ向かうと葦朗に出会った。
「山で十四かそこらの娘を見なかったか」と訪ねられる。

カヤは生まれた時から体に草が生えていた。その草を取っても取っても生えてくる。歩けるようになるとよく家を抜け出して山に行っていた。そしてある日風とともにカヤは消えた。それきりカヤは見つからず、それでも時折足跡が見つかることがあり葦朗は妹を探し続けていた。ギンコは光脈筋には山を統率するぬしがおり、それに選ばれたものには生まれつき体に草が生えていること、ぬしに近づきすぎると山のバランスが崩れ、山に草木も動物も人も住めなくなること、そしてカヤはもう戻って来ないことを伝える。
ギンコは再びカヤに出会う。「薬は効いたか」と訪ねると手を差し出す。ギンコは薬を作りながら、「兄があんたを探しているのを知っているか?」「出くわしても関わらない方がいい」と言うが終始無言だった。「ヒトではないもの」になっていくカヤを思うギンコ。
しかし、「カヤは人の子」と信じる葦朗はある日山犬に囲まれ銃を放つ。山犬は去ったが樹の上からカヤが落ちてきた。葦朗はカヤを家に連れ帰る。カヤが戻ったという噂を聞きつけてギンコが訪ねる。葦朗は「どう見てもヒトだろう、このままそっとしておいてくれ」と言う。
ぬしを失った山は霧が立ち込め、蔓が伸び、山が乱れ始める。「山が絶える」とギンコが思う。カヤは山からの光に山へ戻り、再び葦朗の目の前から消えた。ギンコは葦朗にカヤは山に戻り、里心が強くなればカヤが苦しむだけたと伝える。
再びギンコが山を訪ねた時には随分様子がおかしくなり始めていた。山は荒れている。カヤに合いにいったギンコは「大丈夫か?」と尋ねると、カヤは「山の声が分からない、山とひとつになれない」と言う。次のぬしがまもなく決められる、そして古いぬしは新しいぬしに力を渡すために山に食われると。
ギンコは山の理に憤りを感じる。家族を恋しく思っただけのこと。あれ程かかわるなと言っているギンコでさえ断ち切れないんですね。新しいぬしが決められたことを知らせる蔓草が伸び始めていた。新しいぬしが誕生した時に実を着け、鈴の音をならすという。ギンコは新しいぬしが誕生する前にぬしの力を山に返せば命は奪われないのではないかと考え、理と話をするためにカヤに蒸し蟲下しを飲ませる。「どうかヒトのぬしを許して、命ばかりは奪わないでくれ」「あの娘を選んだのはあんたらの誤りだ」と。
それは「良し」としたものの理を歪めたギンコに元の形に戻してもらわねばとギンコを光の中に連れ去ろうとすると、「お待ちください」とカヤが現れる。「これは私と山の話。誰にも身代わりはさせない」。「なんで来たんだ」と覚悟を決めていたギンコ。「私は草木で虫で獣で、数えきれない生死を味わった。最期にヒトとしても生きられた」「死ぬわけじゃない、わたしでなくなるだけ」。「山と命と理の間に流れる"約束"の中に戻るだけ」カヤは消えた。ここでギンコが消えたら「蟲師」は最終回ということになりますか。
美しい鈴の音が聞こえた。久しぶりにギンコが訪ねると、山は栄えていた。「新しいぬしが守ってくれている。」