「北斗の拳」は拳の戦いの世界を描くストーリーから、女性キャラクターの数が男性キャラクターに比べるとかなり少ない。少ないだけに長期にわたって出番のあったキャラクターは印象深い者が多い。
一番登場が多いのは当然リン(鈴木富子、富永みーな)。ケンシロウを慕い、信じて疑わない姿はシリーズを通じて随所に見られる。特に修羅の国に渡ってからのリンは強かった。特にカイオウに捕らえられ、足に鎖の枷、俺の子を生めと迫られた時でも。
そして109話までのストーリーはこの人を中心に動いていた、ケンシロウの愛したユリア(山本百合子)。語るまでもありません。
戦いに直接かかわらなかったせいか、一番美しく優しいという印象のレイの妹アイリ(安藤アリサ)。牙一族に捕らえられ初めて見せた姿は黄色の薄い透けて見えるようなドレス。「新しいご主人さま…」この言葉を聞いたレイの心痛いかばかりか。
女を捨てたと刃の着いたヨーヨーを操って戦うマミヤ(藤田淑子)。女を捨てたと言いながらケンシロウの出現で心が揺れ、レイに愛が甦る。レイの死後、戦うことを止めレイの墓標にヨーヨーを封印するが、「2」でジャコウの出現で村が危うくなり、再びヨーヨーを取ろうとする。それをケンシロウが制する。「北斗の拳」「北斗の拳2」を通して出てくる数少ないキャラクターでもある。
ちょっとマイナーなところを挙げておくとカサンドラの牢獄に母親を人質に取られケンシロウと戦うことを強要された蘭山紅拳のベラ。ベラとケンシロウの戦いはほんの短いものだったが、戦いの途中でもケンシロウは子供を救う。それを見てベラは戦いを止めてしまう。「女として生きろ」というケンシロウの言葉も空しく、その後黒掌十字拳のターゲルに裏切り者として殺される。声を演じたのが戸田恵子さん。
何故そこまで、死ぬことはないだろうと思ったのが海のリハクの娘トウ(土井美加)。行き倒れの女を演じてジュウザに睡眠薬を盛るシーンは随分太めの女性に描かれているが、ラオウに愛を語って自らを刺した場面ではいささかスリム。
「北斗の拳2」になってからはファルコの愛したミュウ、リンの姉・天帝ルイ、アインの娘アスカが登場するが出番が少ない。短い中でも印象が強かったのがカイオウの妹でありヒョウの婚約者サヤカ。一時リンをかくまったりもしたが、兄カイオウの手で殺される。情を捨てたカイオウと愛を語ったヒョウとの差がくっきりと浮かび上がったエピソードでもあった。
最後にレイア。修羅たちから隠れて修練場に連れて行かれる前の子供たちに愛を説く女。シャチを愛したがシャチが南斗琉拳を得て人が変ったことでケンシロウに「殺してくれるなら」とシャチの行く場所を教える。この時の弟タオの言葉がグサリと刺さる。「姉さんが望んでいるのは北斗琉拳の死であって、あの人が死ぬことじゃない!」
2005年10月31日
2005年10月30日
死びとの町
「妖怪人間ベム」で僕にとって一番インパクトが強かったのは第3話「死びとの町」。悪霊とベラの戦い、変貌していく町の女達の恐ろしい顔、ストーリーのどんでん返し的な展開が印象的。
ベム達三人は半ば廃虚になった火葬場にやってくる。ここで休もうというベム。居眠りを始めるベムとは違いベロは退屈で町へでかける。人影のない町でベロは女の子エミリーを見つける。エミリーの母親は彼女におやつを出しつつ悲しみに沈んでいる。毎月13日前になると町の男達は姿を消し子供を一人ずつ棺桶に入れて井戸に落とさなければ皆殺しに遭うという。それを聞いたベロはエミリーの身替わりに自分が棺桶に入ると言い出す。ベロはベラとベムに報告にいくと、ベラは自分がが身替わりになって相手の正体を確かめてやっつけてやると町へでかけていく。ベラを入れた棺桶を女達は井戸へ落とす。井戸の横穴から人が出てきて近付く気配を感じたベラは棺桶から飛び出し戦う構えを見せるが、なんとそこには町の男達がいた。男達の話によると1年まえに男達が町を留守にしている間に一人の旅の女が町へやってきて、飲み物と食べ物を求めたが女たちは誰一人手を差しのべず、旅の女は死んでしまう。女達は彼女の遺体を火葬場で焼いてしまった。それ以来毎月13日になると女達は恐ろしい風貌に変わり子供達を襲うが翌朝になると全く前日の記憶が残っていない。男達は子供達を救うために一人ずつ人身御供を差し出すように脅していたという。町にはエミリーとベロが残っている。疾風のごとく町へ戻るベラ。火葬場の骸骨から出た悪霊は女達に次々にとりついていく。エミリーとベロに襲いかかる女達。ぎりぎりのところでベラが間に合う。「あたしは悪いやつが嫌いでね」とお決まりの文句を言いながら悪霊の本体がとりついた女と向き合う。正体を見せた本体にベラは獣態に変身して戦う。そのころ焼き場で居眠りをしていたベムの横のかまどの中で頭蓋骨が光を発して唸り声を出していた。ベムがステッキで砕くと悪霊は苦しみ霧散し、女達は正気に戻る。
何が怖かったといって町の女達に悪霊がとりついて変貌する様は見事だ。当時の小学生を震え上がらせるに十分な迫力があった。
余談だが、エミリーの前に突然姿を見せたベロが「怪しいものじゃないよ」とエミリーを安心させるのに逆立ちをして歩く。微笑むベロに微笑みを返すエミリー。ベロの何とかしたいという気持ちがひしひしと伝わってくる。このあとエミリーのお母さんにおやつをごちそうになるのだが、お菓子を好まないベロが「できたらニワトリのなま肉がいいな」(だったと思う)と言うところがおかしい。妖怪人間の食べ物の情報がここで得られる。
ベム達三人は半ば廃虚になった火葬場にやってくる。ここで休もうというベム。居眠りを始めるベムとは違いベロは退屈で町へでかける。人影のない町でベロは女の子エミリーを見つける。エミリーの母親は彼女におやつを出しつつ悲しみに沈んでいる。毎月13日前になると町の男達は姿を消し子供を一人ずつ棺桶に入れて井戸に落とさなければ皆殺しに遭うという。それを聞いたベロはエミリーの身替わりに自分が棺桶に入ると言い出す。ベロはベラとベムに報告にいくと、ベラは自分がが身替わりになって相手の正体を確かめてやっつけてやると町へでかけていく。ベラを入れた棺桶を女達は井戸へ落とす。井戸の横穴から人が出てきて近付く気配を感じたベラは棺桶から飛び出し戦う構えを見せるが、なんとそこには町の男達がいた。男達の話によると1年まえに男達が町を留守にしている間に一人の旅の女が町へやってきて、飲み物と食べ物を求めたが女たちは誰一人手を差しのべず、旅の女は死んでしまう。女達は彼女の遺体を火葬場で焼いてしまった。それ以来毎月13日になると女達は恐ろしい風貌に変わり子供達を襲うが翌朝になると全く前日の記憶が残っていない。男達は子供達を救うために一人ずつ人身御供を差し出すように脅していたという。町にはエミリーとベロが残っている。疾風のごとく町へ戻るベラ。火葬場の骸骨から出た悪霊は女達に次々にとりついていく。エミリーとベロに襲いかかる女達。ぎりぎりのところでベラが間に合う。「あたしは悪いやつが嫌いでね」とお決まりの文句を言いながら悪霊の本体がとりついた女と向き合う。正体を見せた本体にベラは獣態に変身して戦う。そのころ焼き場で居眠りをしていたベムの横のかまどの中で頭蓋骨が光を発して唸り声を出していた。ベムがステッキで砕くと悪霊は苦しみ霧散し、女達は正気に戻る。
何が怖かったといって町の女達に悪霊がとりついて変貌する様は見事だ。当時の小学生を震え上がらせるに十分な迫力があった。
余談だが、エミリーの前に突然姿を見せたベロが「怪しいものじゃないよ」とエミリーを安心させるのに逆立ちをして歩く。微笑むベロに微笑みを返すエミリー。ベロの何とかしたいという気持ちがひしひしと伝わってくる。このあとエミリーのお母さんにおやつをごちそうになるのだが、お菓子を好まないベロが「できたらニワトリのなま肉がいいな」(だったと思う)と言うところがおかしい。妖怪人間の食べ物の情報がここで得られる。
2005年10月29日
シャチと赤鯱
「北斗の拳2」でケンシロウが修羅の国に渡って以降は孤独な戦いで味方は少ないが、その少ない味方となった二人。
ファルコを追って海を渡るケンシロウの前に現れた海賊船、その首領が赤鯱。赤鯱の息子がシャチ。親が赤鯱なら子の名前がただのシャチとはちょっと変だな、というのが最初に見た時の印象。
かつて世紀末覇者を目指していたラオウに「いよいよ海を渡りますか?」と問う赤鯱だったが、「まだその時期ではない」と言いつつ「その時はお前の力を借りる」とラオウは海を渡らなかった。結局渡ることはなかったがシャチもその時、ラオウに会っていたというエピソードが語られている。
赤鯱は修羅の国へ攻め込みたった一人の修羅のために右目と左手と部下を失い、息子のシャチを置き去りにする。ケンシロウに挑む海賊団は赤鯱すら手玉にとるケンシロウに恐れをなして船を離れてしまう。赤鯱はケンシロウを修羅の国まで運び、息子のシャチを助けてくれと頼む。
一方シャチは置き去りにされた自分を助けてくれたレイアと恋に落ちるが、自ら意を決して修羅の国を脱出しようとする。しかしレイアがやがて修羅の花嫁になる運命を聞いた時、争って修羅二人を殺してしまう。さらに襲いかかる修羅からシャチを救ったのが北斗琉拳の使い手ジュウケイだった。ジュウケイから北斗琉拳を会得したシャチは「修羅を食う羅刹」として修羅たちを震え上がらせる。
ケンシロウを利用しようとしたがケンシロウの深い愛に心が甦ったシャチはカイオウとの戦いで仮死状態になったケンシロウを棺桶に入れて旅を続けケンシロウ復活に賭ける。その鋭き視線のために羅将ヒョウの目にとまり危機に陥るが、「目がお気に障るならば」と自らの片目をえぐりヒョウに差し出す。「片方だけでは足らぬというならば」ともう一方をえぐろうとするがヒョウがその気概に制しして事なきを得る。ラオウに対するファルコがそうであったように、このあたりが北斗の拳独特の精神世界。
赤鯱も再び修羅の国に上陸している。圧倒的な力で苦杯を飲んでいながらも第1の羅将カイオウに向かう様は見ていてスカッとする場面だ。こういう男、こういう父親めったにいない。
ケンシロウが復活、シャチがレイアを守ってカイオウとの死闘を繰り広げて死ぬといよいよ最終回へ向けての秒読みとなる。
ファルコを追って海を渡るケンシロウの前に現れた海賊船、その首領が赤鯱。赤鯱の息子がシャチ。親が赤鯱なら子の名前がただのシャチとはちょっと変だな、というのが最初に見た時の印象。
かつて世紀末覇者を目指していたラオウに「いよいよ海を渡りますか?」と問う赤鯱だったが、「まだその時期ではない」と言いつつ「その時はお前の力を借りる」とラオウは海を渡らなかった。結局渡ることはなかったがシャチもその時、ラオウに会っていたというエピソードが語られている。
赤鯱は修羅の国へ攻め込みたった一人の修羅のために右目と左手と部下を失い、息子のシャチを置き去りにする。ケンシロウに挑む海賊団は赤鯱すら手玉にとるケンシロウに恐れをなして船を離れてしまう。赤鯱はケンシロウを修羅の国まで運び、息子のシャチを助けてくれと頼む。
一方シャチは置き去りにされた自分を助けてくれたレイアと恋に落ちるが、自ら意を決して修羅の国を脱出しようとする。しかしレイアがやがて修羅の花嫁になる運命を聞いた時、争って修羅二人を殺してしまう。さらに襲いかかる修羅からシャチを救ったのが北斗琉拳の使い手ジュウケイだった。ジュウケイから北斗琉拳を会得したシャチは「修羅を食う羅刹」として修羅たちを震え上がらせる。
ケンシロウを利用しようとしたがケンシロウの深い愛に心が甦ったシャチはカイオウとの戦いで仮死状態になったケンシロウを棺桶に入れて旅を続けケンシロウ復活に賭ける。その鋭き視線のために羅将ヒョウの目にとまり危機に陥るが、「目がお気に障るならば」と自らの片目をえぐりヒョウに差し出す。「片方だけでは足らぬというならば」ともう一方をえぐろうとするがヒョウがその気概に制しして事なきを得る。ラオウに対するファルコがそうであったように、このあたりが北斗の拳独特の精神世界。
赤鯱も再び修羅の国に上陸している。圧倒的な力で苦杯を飲んでいながらも第1の羅将カイオウに向かう様は見ていてスカッとする場面だ。こういう男、こういう父親めったにいない。
ケンシロウが復活、シャチがレイアを守ってカイオウとの死闘を繰り広げて死ぬといよいよ最終回へ向けての秒読みとなる。
2005年10月28日
第3の羅将ハン
今日は再び「北斗の拳2」から。
修羅の国の三人の羅将のひとり。第1の羅将カイオウはラオウとトキの実の兄。第2の羅将ヒョウはケンシロウの兄。第3の羅将がこのハン。三人ともケンシロウと戦うことになるが、なかでもハンとの戦いが一番見応えがあった。
ジャコウ手下、元斗皇拳緑光将軍タイガがジャコウを見捨ててリンを拉致、海を越えて修羅の国へ行く。ファルコがタイガを発見した時にはすでにタイガは死に際でリンは修羅に奪われていた。そのシュラからリンを奪ったはシャチがボロに扮してリンをハンに差し出しケンシロウを戦いに誘う。シャチの思惑どおりにケンシロウはハンの居城に乗り込む。
戦いの幕はハンの飛び蹴りで切って落とされる。ハンの蹴りをケンシロウは無数の突きではじき返す。「久々に骨のある奴に出会った、わくわくするわ!」とシャチとリンの目の前で戦いを繰り広げる。眼にもとまらぬ疾風の拳を繰り出すハンとそれを受けるケンシロウ。シャチは二人の戦いのなかでケンシロウの拳を見極めようとする。
戦いの中でハンはケンシロウの足の神経を犯し動きを封じた上でケンシロウの破孔を突く。勝ち誇るハンだったがケンシロウの体は吹き飛ばない。「お前が俺の足を封じたように、俺はお前の目を封じていたのだ」ケンシロウはハンの視神経を犯していた。ケンシロウの最後の一撃で城の壁にめりこみ、川の流れに落ちるハン。その遺体はやがてヒョウの居城へと流れていく。
カイオウとヒョウは北斗宗家にまつわる因縁を含んだ戦いだが、ハンにはそれがなく全く純粋な拳士の戦いで、戦いそのものを楽しめた場面だった。最初のハンの蹴りを拳ではじき返す場面は圧巻。
修羅の国の三人の羅将のひとり。第1の羅将カイオウはラオウとトキの実の兄。第2の羅将ヒョウはケンシロウの兄。第3の羅将がこのハン。三人ともケンシロウと戦うことになるが、なかでもハンとの戦いが一番見応えがあった。
ジャコウ手下、元斗皇拳緑光将軍タイガがジャコウを見捨ててリンを拉致、海を越えて修羅の国へ行く。ファルコがタイガを発見した時にはすでにタイガは死に際でリンは修羅に奪われていた。そのシュラからリンを奪ったはシャチがボロに扮してリンをハンに差し出しケンシロウを戦いに誘う。シャチの思惑どおりにケンシロウはハンの居城に乗り込む。
戦いの幕はハンの飛び蹴りで切って落とされる。ハンの蹴りをケンシロウは無数の突きではじき返す。「久々に骨のある奴に出会った、わくわくするわ!」とシャチとリンの目の前で戦いを繰り広げる。眼にもとまらぬ疾風の拳を繰り出すハンとそれを受けるケンシロウ。シャチは二人の戦いのなかでケンシロウの拳を見極めようとする。
戦いの中でハンはケンシロウの足の神経を犯し動きを封じた上でケンシロウの破孔を突く。勝ち誇るハンだったがケンシロウの体は吹き飛ばない。「お前が俺の足を封じたように、俺はお前の目を封じていたのだ」ケンシロウはハンの視神経を犯していた。ケンシロウの最後の一撃で城の壁にめりこみ、川の流れに落ちるハン。その遺体はやがてヒョウの居城へと流れていく。
カイオウとヒョウは北斗宗家にまつわる因縁を含んだ戦いだが、ハンにはそれがなく全く純粋な拳士の戦いで、戦いそのものを楽しめた場面だった。最初のハンの蹴りを拳ではじき返す場面は圧巻。
2005年10月27日
少女が消えた街
コンピューターが自我を持って暴走(人間の側からみればだが)するというSF作品にはよくある主題を描いている。古いところならモノクロアニメの「エイトマン」にもこの話題はあった。「無敵超人ザンボット3」の「コンピュータードール」や「スタートレック・ジェネレーションズ」にも登場する。コンピューターのプログラミングをしているとほんの一つの命令の綴りを間違ったって素直に走らないのに,そんなやつが管理者の手を離れて既存のプログラムだけで何で変革するのか。そんなことが起こることそのものが僕には疑問なのだが。更に子供向けの作品に多いが,そんな暴走した自我をもったコンピューターに対して感情に訴えるケースが非常に多い。そしてまた,コンピューターがそれを聞き入れるから摩訶不思議。「ウルトラマンティガ」第42話「少女が消えた街」はそういうエピソード。
ヤズミ隊員はネットワークゲームに勝ってゲームの殿堂“タウン”に招待される。保護者と称してレナ隊員が同伴。例によってヤズミ隊員はレナ隊員に子供扱いされている。“タウン”では案内係りの加藤(ウガンダ)が待っていた。“タウン”はバイオコンピューターカレン-E90が統括するゲームの名人のみが入ることを許される街。実はカレンが作り出した仮想現実の街だった。ゲームの世界に入り込んだレナはカレンに捕らわれてしまう。バーチャル映像の宇宙人たちが攻撃してくる中,ヤズミはひとりの少女に会う。彼女は怪我をしたヤズミに包帯を巻いて優しく接する。ヤズミも怪我をした少女の腕に包帯を巻く。ヤズミはレナを救出するために仮想現実のゲームの世界に突入,次々にクリアしていく。そして最後の相手は加藤。「最大の敵,実はこれは囮で本体は後ろだ」と振り向くとそこにいたのは例の少女だった。「君がカレンだったのか」ためらったヤズミは少女の目からの怪光線で倒される。カレンはヤズミの脳からTPCのコンピューターのデータをを読み取り,TPCの中央コンピューターをハッキング,「世界を完全なものにする」「人間は邪悪なバグ,バグは消さなくてはいけない」と巨大メカファイバスと一体化して攻撃してくる。ティガも攻撃パターンを読み取られて劣勢が続く。ヤズミは必死に繰り返しカレンに呼びかけるが空しく「アクセス不能」の文字が点滅する。ヤズミが涙をこぼしたところでファイバスの動きが一瞬止まる。ティガのゼペリオン光線が決まってファイバスもタウンも消滅していった。カレンからのメッセージ「ありがとう」。ヤズミの最後の一言「彼女は確かに存在したんだ!」腕の包帯は消えてはいなかった。
最後にカレンはヤズミの訴えを聞き入れたのだろうか。確かに圧していたファイバスの動きは止まったかに見えるが、ティガとの距離が開いたためであって、攻撃の態勢を解いたとは僕には見えなかった。ティガの光線を受けて消滅したためにヤズミには最後のメッセージを返してはいるものの。
この作品の見所はそれ以前の作品では考えられないほど合成映像が多いところ,それが皆美しい。仮想現実のゲームの世界に飛び込んだような気分になる。カレンを演じたのは栗栖ゆきなさん。演技は完璧だと思うがシナリオ・演出のカレンの描きこみが少し足りなかったような気がする。23分の作品では無理があったか。
ヤズミ隊員はネットワークゲームに勝ってゲームの殿堂“タウン”に招待される。保護者と称してレナ隊員が同伴。例によってヤズミ隊員はレナ隊員に子供扱いされている。“タウン”では案内係りの加藤(ウガンダ)が待っていた。“タウン”はバイオコンピューターカレン-E90が統括するゲームの名人のみが入ることを許される街。実はカレンが作り出した仮想現実の街だった。ゲームの世界に入り込んだレナはカレンに捕らわれてしまう。バーチャル映像の宇宙人たちが攻撃してくる中,ヤズミはひとりの少女に会う。彼女は怪我をしたヤズミに包帯を巻いて優しく接する。ヤズミも怪我をした少女の腕に包帯を巻く。ヤズミはレナを救出するために仮想現実のゲームの世界に突入,次々にクリアしていく。そして最後の相手は加藤。「最大の敵,実はこれは囮で本体は後ろだ」と振り向くとそこにいたのは例の少女だった。「君がカレンだったのか」ためらったヤズミは少女の目からの怪光線で倒される。カレンはヤズミの脳からTPCのコンピューターのデータをを読み取り,TPCの中央コンピューターをハッキング,「世界を完全なものにする」「人間は邪悪なバグ,バグは消さなくてはいけない」と巨大メカファイバスと一体化して攻撃してくる。ティガも攻撃パターンを読み取られて劣勢が続く。ヤズミは必死に繰り返しカレンに呼びかけるが空しく「アクセス不能」の文字が点滅する。ヤズミが涙をこぼしたところでファイバスの動きが一瞬止まる。ティガのゼペリオン光線が決まってファイバスもタウンも消滅していった。カレンからのメッセージ「ありがとう」。ヤズミの最後の一言「彼女は確かに存在したんだ!」腕の包帯は消えてはいなかった。
最後にカレンはヤズミの訴えを聞き入れたのだろうか。確かに圧していたファイバスの動きは止まったかに見えるが、ティガとの距離が開いたためであって、攻撃の態勢を解いたとは僕には見えなかった。ティガの光線を受けて消滅したためにヤズミには最後のメッセージを返してはいるものの。
この作品の見所はそれ以前の作品では考えられないほど合成映像が多いところ,それが皆美しい。仮想現実のゲームの世界に飛び込んだような気分になる。カレンを演じたのは栗栖ゆきなさん。演技は完璧だと思うがシナリオ・演出のカレンの描きこみが少し足りなかったような気がする。23分の作品では無理があったか。
2005年10月26日
はやく人間になりたい
「妖怪人間ベム」は1968年にフジテレビ系列で放映された怪奇アニメ。制作は第一動画でなかなかの人気だった。オープニングの間に入る「はやく人間になりた〜い」というセリフは有名。また後にベラの顔が話題になった。
ベムは黒で裏地が赤という上着に白いスラックス、ステッキを握ったおじさんで声を演じるのは小林清志。ベラは白い肌に真赤な唇、赤いマント、手には鞭を持つおばさんで声を演じたのは森ひろ子。ベロは赤いコスチュームの小僧で声を演じたのは清水マリ。「はやく人間になりたい」という割にはその服装は人間離れしていた。この三匹の誕生の経緯は毎回本編の始めに語られる。
「それはいつ生まれたのか誰も知らない。暗い音のない世界でひとつの細胞が分かれてふえてゆき、三つの生き物が生まれた。彼らはもちろん人間ではない。また動物でもない。だが、その醜い体の中には正義の血が隠されているのだ。その生き物、それは人間になれなかった妖怪人間である。」
そしてベロが爪を振り降ろして画面が破れてサブタイトルが出るという趣向。ナレーションの中にもあるが「正義」という言葉、これがこの作品のキーワードだ。怪奇ものではあるがベム、ベラ、ベロの戦いは常に正義の味方、悪者を懲らしめ、弱きを助け、悪霊を葬る戦いだった。しかし人間態であっても指が三本、変身すれば醜い獣で人に受け入れられることなく、悲しい定めを背負った。
最終回は無人の古い洋館で戦ったが、外を警官隊に囲まれ、建物は火事、逃げ場を失った彼らは人目に姿を晒すことなく炎と共に滅びる事を選ぶ。何度も危機の時にはベムはテレボートしているのにどうして使わないと思った。三匹、いや三人はどこかで生きているというナレーションで幕を閉じる。
主題歌は後ほど。機会があればエピソードもご紹介したいと思う。
ベムは黒で裏地が赤という上着に白いスラックス、ステッキを握ったおじさんで声を演じるのは小林清志。ベラは白い肌に真赤な唇、赤いマント、手には鞭を持つおばさんで声を演じたのは森ひろ子。ベロは赤いコスチュームの小僧で声を演じたのは清水マリ。「はやく人間になりたい」という割にはその服装は人間離れしていた。この三匹の誕生の経緯は毎回本編の始めに語られる。
「それはいつ生まれたのか誰も知らない。暗い音のない世界でひとつの細胞が分かれてふえてゆき、三つの生き物が生まれた。彼らはもちろん人間ではない。また動物でもない。だが、その醜い体の中には正義の血が隠されているのだ。その生き物、それは人間になれなかった妖怪人間である。」
そしてベロが爪を振り降ろして画面が破れてサブタイトルが出るという趣向。ナレーションの中にもあるが「正義」という言葉、これがこの作品のキーワードだ。怪奇ものではあるがベム、ベラ、ベロの戦いは常に正義の味方、悪者を懲らしめ、弱きを助け、悪霊を葬る戦いだった。しかし人間態であっても指が三本、変身すれば醜い獣で人に受け入れられることなく、悲しい定めを背負った。
最終回は無人の古い洋館で戦ったが、外を警官隊に囲まれ、建物は火事、逃げ場を失った彼らは人目に姿を晒すことなく炎と共に滅びる事を選ぶ。何度も危機の時にはベムはテレボートしているのにどうして使わないと思った。三匹、いや三人はどこかで生きているというナレーションで幕を閉じる。
主題歌は後ほど。機会があればエピソードもご紹介したいと思う。
2005年10月25日
「北斗の拳」挿入歌
「北斗の拳」ではオープニングやエンディングが効果的に使われています。戦いの場面のオープニングであったり、愛を語る場面では第1期のエンディング「ユリア!永遠に」が劇的に流れます。特に2番が流れたり、フルコーラスだったりすると、ググッと感情が高まったりします。
劇場版のみ使われているものもあるのですが、TVシリーズでは子門真人氏の歌う2曲がタイミングよく使われていて見ているものの感情を引き立て、物語の中へ視聴者を引き込んでいきます。
「KILL THE FIGHT」は岡部和範作詞、大安蓮作曲、水谷公生編曲。戦いに赴く場面でよく使われました。戦いに行くのに戦いを終わらせるんだというケンシロウの熱い気持ちが伝わってくる曲です。
I kill the fight
悲しみバラまき
I kill the fight
孤独を育てる
I kill the fight
この戦いを
俺は今たたく
もう一曲が「WIND & RAIN」。「KILL THE FIGHT」と同じく岡部和範作詞、大安蓮作曲、水谷公生編曲。こちらは戦いの合間を縫っての安らぎのシーン、希望あふれるシーンで使われた曲です。アインが死に際、アスカと共に飛行船で緑の大地を飛びまわる場面が僕にとっては忘れられないシーンでここでバックに流れています。
男の心は風
ただひたすら通りぬけた後で wo-o
ほんとに大事なもの
なくして来たことに気づき
また舞い戻る
この2曲は3部に入ってから使われ始めたと思いますが、「2」になってからの印象が大変強いです。「北斗の拳」中の隠れた名曲。聞くことのできるCDが何枚かあるのでファンならば是非聞いてください。
劇場版のみ使われているものもあるのですが、TVシリーズでは子門真人氏の歌う2曲がタイミングよく使われていて見ているものの感情を引き立て、物語の中へ視聴者を引き込んでいきます。
「KILL THE FIGHT」は岡部和範作詞、大安蓮作曲、水谷公生編曲。戦いに赴く場面でよく使われました。戦いに行くのに戦いを終わらせるんだというケンシロウの熱い気持ちが伝わってくる曲です。
I kill the fight
悲しみバラまき
I kill the fight
孤独を育てる
I kill the fight
この戦いを
俺は今たたく
もう一曲が「WIND & RAIN」。「KILL THE FIGHT」と同じく岡部和範作詞、大安蓮作曲、水谷公生編曲。こちらは戦いの合間を縫っての安らぎのシーン、希望あふれるシーンで使われた曲です。アインが死に際、アスカと共に飛行船で緑の大地を飛びまわる場面が僕にとっては忘れられないシーンでここでバックに流れています。
男の心は風
ただひたすら通りぬけた後で wo-o
ほんとに大事なもの
なくして来たことに気づき
また舞い戻る
この2曲は3部に入ってから使われ始めたと思いますが、「2」になってからの印象が大変強いです。「北斗の拳」中の隠れた名曲。聞くことのできるCDが何枚かあるのでファンならば是非聞いてください。